5月24日

その日は、朝から湿気を帯びた重たい空気が漂っていた。

8時から14時まで、私はいつものようにバイトに出ていた。

仕事を終えた私は、汗をぬぐう間もなく、武蔵小山駅へ向かった。

15時。改札口で私を待っていたのは、久しぶりの顔だった。

AとN。

Aは、以前よりもさらに痩せこけ、金髪をオールバックに撫でつけ、黒いジャケットとワイシャツに、細いダークブルーのネクタイという妙に決め込んだ格好だった。

その姿は、街の景色からも、今の彼自身からも浮いて見えた。

一方のNは、黒髪に老けた顔立ち、深い緑の柄入りTシャツに短パン、足元はスリッパ。

まるでこの世と断絶したような、だらしなさが滲み出ていた。

2週間ほど前、突然NからLINEが来た。

「久しぶり!今度Aとホームパーティーやるんだけど来ない?」

あまりにも唐突で、不自然な誘いだった。

だけど、私はそれに乗った。

当時勤めていた会社は経営が傾いており、私は総務の事務員として、会社都合でクビを切られたばかりだった。

だからこそ、彼らが今どうしているのか、純粋に気になった。

私たちは10分ほど歩き、Nの住む古びたアパートへとたどり着いた。

外観はみすぼらしい2DK。

けれど中に入ると、思いがけずこだわりが感じられた。

ルクルーゼの鍋、木製のダイニングテーブル、しっかりとした作業台。

清潔とは言いがたいが、生活に対する執着だけは感じた。

食卓にはNの手作りだという煮卵、竜田揚げ、こんにゃくの煮物、魚、肉の料理が並んでいた。

だけど、なぜか私の箸とグラスだけが用意されていなかった。

棚から自分で探して引っ張り出す。

その違和感が、今でははっきりと「伏線」だったと思える。

宴ははじまった。

N、A、I、S、O、その他にも顔見知りや初対面の者がいた。

中でもSという女性は、初対面でありながらやけに親しげで、何度も私に酒を勧めてきた。

「もっと飲んだほうがいいよ、遠慮しないで」

彼女の言葉に押されるように、私は多量の酒を口にした。

酔いが回るころには、会話の温度は冷たくなり、私は一人だけ浮いているように感じた。

遅れて郵便配達員が19時過ぎにAが頼んだワインを届けに来たので、そのワイン1杯含め、麦焼酎の原液3杯ほど飲んでいた。

気づけば、宴は終わり、全員でNの家を出ていた。

駅に向かっているはずだったが、なぜかたどり着かない。これは後から警官のYがわたしに問いかけるが、最寄駅の武蔵小山とは反対側に誘導されていたのだ。

ふと、Sが私の腕を支えるふりをしながら強く掴みはじめた。

「やめて」と振り払おうとした瞬間、IとOが私を羽交い締めにした。

我に返る。

Oは3年前、私が別の飲み会に参加した帰り、家までついてきたことがある男だった。

当時、家の中まで入って来たものの、たまたまわたしの元カレが遊びに来ていたので、大人しく帰って行ったことがある。

そしてその日も、Nの家で私がトイレに立とうとしたとき、背後から私の腰に両手を当ててきた。

気持ち悪い――危険だ。

私は自分のポケットに手を入れた。

鍵が――ない。

盗られた。

でも、決定的な証拠はない。

体を拘束されているその瞬間も、私はどうやって身を守るかを考えていた。

Nが、ここは歩道で迷惑がかかるから別の場所に移動しようと言った。だから車が駐車してある白いコンクリートの場所に拘束されたまま移動した。

その時、近くのラーメン屋から中国人の女性が出てきて「どうしたの?」と声をかけてきた。

Nが「警察を呼んでください」と頼んだ。

そして、警官のYとSがやってきた。

だが、警察が私の話を聞くことはなかった。

YとSが現場に来た時、私はすでに動けず、体中に痛みを抱えていた。

状況を説明しようにも、声が出ない。

すると、Sが「じゃあ一緒に鍵を探しましょう」と言ったので、私は歩道の上でトートバッグの中身を全部出して、Sと一緒に鍵を探した。

しかし、何も見つからなかった。

それでも、私が悪者に仕立てられるのはあまりにも早かった。

Sが私を説得するそぶりで、靴を履いていなかった私を無理やりパトカーへ押し込んだ。

その靴は、解放された後、深夜2:12ごろ、SとYと一緒に再度現場に戻り回収した。

警察署に着いてからが、本当の地獄だった。

署内では、YやIから一切事情を聞かれず、私は一方的に「保護室」に押し込められた。

保護室に移される直前、山地という警官が私を殴り、蹴り、押さえつけてきた。腕や手首、足に強い痛みを感じる。

それを、周囲の警官たちは誰一人止めなかった。

女性警官のHにも私は訴えた。

「Oが家に来る可能性がある。早く帰らなければ危ない」と。

そして、ここに至る経緯も丁寧に説明した。

でも、彼女はただ黙っていた。

私は畳の敷かれた保護室に、まるで動物のように押し込まれた。

毛玉だらけのオレンジの毛布を、投げるように中へ放り込まれた。

その部屋は、寒かった。

凍えるような寒さだった。

私はトイレにも行けず、寒さと恐怖で身を縮めていた。

そこへ私服の警官Yが現れた。

「ここまでどうやって来たかわかるか?なぜ連れてこられたかわかってるのか?」

彼は怒鳴りつけてきた。

私は冷静に、「記憶も意識もあるし、録音も録画している」と伝えた。

するとYは、「Sの報告では、あなたはタクシーを探して車道をふらふら歩いていた、そしていきなり歩道でカバンをひっくり返して鍵を探し始めた」と言った。

それは、すべて違っていた。

情報は完全に歪められていた。

私は、「こんな情報伝達ミスをして、税金で何をしているのか」「Sがわたしに一緒に探すからカバンの中をよくみてみようと言われたから、カバンの中身を出しただけだろう、この状況はおかしいだろう」と警官たちに問いかけた。

私服の女性警官が現れたので、同じ質問をすると、彼女は目を逸らした。

その時、Yが怒鳴った。

「警察を下に見るな!」

私は、それに対抗するように、警官たちを全員、名前で呼び捨てにした。

「寒すぎてトイレに行けない」

「身体が凍えている」

そう訴えた。

しかし、ストッキングとベルトを首に巻いていたことに気づいたNという警官が現れ、「かまってちゃんなの?」と侮辱的な言葉を投げかけてきた。

寒いと言っても、誰も耳を貸さなかった。

あの夜、私が受けたのは、“保護”ではなかった。

私の時計を返してくれ!!!

そう訴えると、Yはあなたのロレックスは安全のために預かっていますと言う。

わたしはブランド名なんか言ってないのに。

女が稼いでいるとそんなに嫌なのか?

レバウェル看護

“拘束”であり、“暴力”だ。

そして、何より、“国家という名の暴力装置”による冷たい仕打ちだった。

JAC Recruitment

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