週が明けた月曜の朝。

職場はいつもより静かだった。

電話の呼び出し音も、雑談も、

どこか遠慮がちで、耳にまとわりつくような沈黙があった。

表面上は変わらぬ日常を装いながらも、

空気だけがぴりついていた。

その理由は、誰もがうすうす分かっていた。

先週の会議室の出来事。

そして、その裏にある“通報”という存在。

直接的な言葉で言う者はいない。

だが、視線が少しずつ動き出す。

一部の社員は、まるで偶然を装うように私のデスク前を通り、

中にはやけに親しげに話しかけてくる者もいた。

「最近、ちょっと空気おかしいよね」

「なんか、裏で動いてるのかな」

「誰が言ったんだろうね…まあ、営業の数字に絡んだ話みたいだけど」

言葉の端々に、“詮索”という毒が混じっていた。

まるで誰かを名指しするために、

“会話”という皮をかぶった刃物で、周囲をじわじわ切り裂いているようだった。

三田の姿も、変わりはなかった。

明るめのベージュジャケットに、揺れるイヤリング。

いつも通りの営業スタイルで出社し、

顧客への架電も、社内チャットも、平常運転だった。

彼女が、まるで何もなかったかのように業務をこなすその姿に、

ある者は「肝が据わってる」と言い、

ある者は「若いって怖いね」とつぶやいた。

でも誰も、問題の本質には触れようとしなかった。

“なぜ起きたのか”ではなく、

“誰が言ったのか”ばかりを探っていた。

沈黙のなかで、私はただ一人、何も語らずにいた。

それが、“私ではない”というアリバイになるわけでもないことは知っている。

けれど、何を語らないかを選ぶことで、

この会社の“品位”を映す鏡になるとも思っていた。

私は、噂にも、視線にも、巻き込まれない。

黒革の手帖に記録された“事実”の重みだけを、黙って受け止めている。

通報制度とは、本来、告発者を守るためにあるはずだった。

だが、ここでは逆だ。

声を上げた者こそ、詮索され、距離を置かれ、やがて孤立する。

それを誰もが知っているからこそ、

誰も声を上げず、誰も正さず、

「誰が言ったのか」だけが、正義の代わりになる。

誰かの正義を求めているふりをしながら、

本当は“面倒な真実”から目を逸らしているだけ。

私はそれを、「正義の副作用」と呼んでいる。

噂が私の耳元をかすめるたびに、

私は静かに、黒革の手帖を閉じた。

語る必要のないことは、語らない。

でも、記す必要のあることは、忘れない。

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